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ハンドボールの歴史



今では世界各国で親しまれているハンドボール。古代エジプトの壁画に見られるある球技がハンドボールである、とする説もあり、長い歴史を持つスポーツのひとつです。ハンドボールはルーツとなった球技がいくつかあり、それらをまとめて整理して「ハンドボール」と名付けられたのが20世紀になってからのこと。世界共通のルールが1906年(明治39年)刊行の「ハンドボール競技規則」によって制定されました。その後はオリンピック競技にもなって、世界選手権も2年に一度開催されており、ヨーロッパではドイツやスペインなどにプロリーグができる程人気があります。

では、ハンドボールはどのように変遷してきたのでしょうか。世界におけるハンドボールの歴史、日本におけるハンドボールの歴史、さらには女子ハンドボールの歴史についてもまとめました。

ハンドボールの古代から近代

ハンドボールの古代から近代

ハンドボールの始まりには諸説があります。ハンドボールを「主に手を使ってボールを扱うスポーツ」と定義するなら、手を使ってボールゲームが行なわれていた古代にはハンドボールが生まれていた、とも言えます。ハンドボールのルーツに当たるボールゲームは学術的に特定されていませんが、古代から近代にかけての変遷を有力な説を中心にして紹介します。

古代

古代

古代から人間はボールを使ったゲームを楽しんでいたと言われています。約4,000年前のエジプトの壁画に手を使ってボールで遊ぶ球技の様子が見られ、そういって誕生したいずれかのボールゲームがハンドボールの祖先だ、と唱える説もあります。

「最古のハンドボール」とされるもののなかで有力な説は、ローマ時代に行なわれていた球技「パルパスツム」です。ローマ時代とは現在のイタリアなどに位置するローマ帝国が存在していた時代のことで紀元前1世紀~紀元後5世紀(諸説あります)ごろ。パルパスツムはローマ人がグレートブリテン島(現:イギリス)を支配していたときに考案したと言われています。人々の肉体を鍛え、国の軍事力を上げるよう訓練するための運動だったようです。パルパスツムは2チームが対戦し、点数を競うのが基本ルール。コートをラインで引き、相手チームの後方にあるラインの向こうまでボールを運ぶと点数が加算されます。現代のように網や支柱のあるゴールを置くことはしませんでした。「パルパスツム」は「奪う」という意味があり、相手からボールを奪うために勇猛にぶつかり合いながら、奪ったボールをしっかり持って運びます。こうした内容から軍事力の向上に役立つとされたのでしょう。競技内容から、パルパスツムはサッカーの起源であるという説も有名です。

近代

近代

様々なボールゲームを原点にしながら、スポーツをより多くの人で行なえるようにルールが生み出されたりまとめられたりしていくなか、世界各地でハンドボールのルーツとなる球技が成熟していきました。なかでもデンマークでは、19世紀後半に「ハンドボルト」と呼ばれるスポーツが広まり、学校の体育の授業でも組み込まれました。そして、1906年(明治39年)にデンマークでハンドボールの最初のルールブックと言われる「ハンドボール競技規則」が刊行されました。内容は1チーム7人制によるもの。このルールブックの刊行により、国際ハンドボール連盟が世界で最初のハンドボール試合は「1896年夏、デンマークのフェーン島東端の町ニュボー」で行なわれたものとの見解を1990年(平成2年)に発表しています。また、19世紀後半には「ハンドボール競技規則」の刊行前に、他の国でもハンドボールのルーツとなるスポーツが誕生しています。スウェーデンの「ハンドボル」、チェコスロバキア(現:チェコ及びスロバキア連邦共和国)の「ハゼナ」などがそれにあたります。

一方、ドイツでは、手を使ってボールを扱うゲームが「ラフ・バル」にまとめられ、19世紀末から20世紀初めにかけて広まりました。ラフ・バルはラグビーに似たスポーツであったようです。さらに、1915年(大正4年)にはベルリンのある女性団体が「トーア・バル」を考案。これは、ラフ・バルを女性が楽しめるようにアレンジしたものです。その4年後の1919年(大正8年)には、ドイツ・ベルリンで体育教師をしていたカール・シュレンツ氏が「ラフ・バル」と「トーア・バル」の教育性に注目し、それぞれのルールを見直して競技規則を整理。カール・シュレンツ氏の提言をもとに、1920年(大正9年)にドイツ体操連盟がルールブックを発行。これが11人制ハンドボールの発祥とも言えます。