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体育館情報

武道館と国技館の違い・国技館の特色



両館とも多目的ホールとして利用されるという点は共通していますが、剣道、柔道、弓道、空手道など武道全般の競技場として使われる武道館と異なり、国技館は基本的には相撲に特化した建物です。そのため、やぐらと土俵が設置されていますが、これらはエレベーター形式で昇降する仕組みとなっており、イベント時などには格納することができます。これにより、相撲興行時は1階升席、2階イス席のみになる観客席に、アリーナ席を加えることが可能となるのです。国技館の収容人数は最大11,098人で、武道館と比べると3,000人程規模が小さいことがうかがえます。

国技館の歴史

国技館の歴史

財団法人 日本相撲協会が設立・経営する、相撲のための屋内競技場を国技館(正式には國技館)と呼びます。そもそものルーツは1768年(江戸時代・明和5年)以降、勧進相撲を行なっていた回向院(東京都墨田区両国)の境内にあります。その場所に相撲常設館として国技館が設立されたのは1909年6月、100年以上も前のことになります。

旧国技館(旧両国国技館)と戦争

大相撲が市民の熱い支持を得る一方で、旧国技館は火災、関東大震災などの憂き目に遭い続け、1945年3月10日の東京大空襲でついに骨組みを残すのみになってしまいました。そして迎えた終戦後、国技館の名は廃され、「両国メモリアルホール」として新たな歴史を刻むこととなります。しかし、ここで行なわれた大相撲本場所は1946年11月の秋場所のみで、その後は国際スタジアムに買収され、これにより、大相撲の拠点は旧国技館から新たに蔵前に設立された「蔵前国技館」に映ることとなりました。

蔵前国技館と相撲の黄金時代

1954年に完成して以降、大相撲の拠点となったのが蔵前国技館です。「栃若時代」、「柏鵬時代」、「輪湖時代」など、黄金時代の相撲興行はほとんどここで行なわれています。相撲の他にも、プロレスやボクシング、剣道選手権、アイドルのコンサートなどに利用されていたものの、1984年9月の千秋楽をもって閉館となりました。

新国技館(現・両国国技館)の誕生

1984年11月、変転を繰り返した国技館が両国に戻ってきます。これが現在、国技館(両国国技館)と呼ばれている建物になります。完成の翌1985年、こけら落としとなった初場所では、北の湖、千代の富士の両横綱によって、特別な日のみに行なわれる「三段構え」が披露されました。現在では相撲の他、プロレスや格闘技、ボクシング、株主総会や企業の式典、大学の入学式、コンサートなどが行なわれています。