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日本武道館で葬儀を行なった有名人



過去、日本武道館では故人となった著名人たちを弔うべく、多くの葬儀が執り行なわれてきました。以下に例を紹介します。

元内閣総理大臣

元内閣総理大臣

自民党の内閣総理大臣経験者の葬儀は、日本武道館で行なわれることが少なくありません。その際の葬儀委員長は、ときの内閣総理大臣に任されることとなっています。

吉田茂(1967年10月20日没・享年89歳)

1947年に内閣総理大臣の座に就き、1954年に退任するまで2,616日の長期政権を築きました。5回にわたり内閣総理大臣に任命された実績は、日本において唯一のものとなっています。1967年8月に心筋梗塞を発症し、同年10月20日に逝去。葬儀は閣議により国葬として執行され、葬儀委員長を務めた佐藤栄作首相(当時)が弔辞を読みました。

佐藤栄作(1975年6月3日没・享年74歳)

1964~1972年に内閣総理大臣を3期務めたのちに退任、在任中に表明した非核三原則などを理由にノーベル平和賞を受賞します。1975年5月19日に脳溢血で倒れ、6月3日に逝去。葬儀は大隈重信(1922年)以来の国民葬として執り行なわれました。兄である岸信介が遺族代表として参列し、葬儀委員長は田中角栄首相(当時)が務めました。

大平正芳(1980年6月12日没・享年70歳)

内閣官房長官、外務大臣、大蔵大臣などを経て1978年に自由民主党総裁、総理大臣に就任するものの、1980年には内閣不信任決議の可決により衆参両院の解散を余儀なくされます(ハプニング解散)。総選挙中に病に倒れ、同年6月12日に心筋梗塞による心不全で逝去。7月9日には、日本武道館において内閣と自民党の合同葬儀が行なわれました。

岸信介(1987年8月7日没・享年90歳)

1957~1960年に内閣総理大臣を務め、政界を引退したのちも「昭和の妖怪」と呼ばれ多大な影響を及ぼしましたが、1987年8月7日に逝去。8月11日に増上寺にて密葬を行なったのち、翌月9月17日には日本武道館にて内閣と自民党の合同葬儀が執行されました。中曽根康弘首相(当時)が弔辞を読みましたが、その弔辞は、吉田茂の葬儀において佐藤栄作が読み上げたものと並んで、政治的言説として歴史に残ると言われています。

小渕恵三(2000年5月14日没・享年62歳)

1998年に自由民主党総裁、総理大臣に就任しましたが、2000年に脳梗塞を発症し同年5月14日に逝去。6月8日、日本武道館で内閣と自民党の合同葬儀が執り行なわれ、約6,000人が参列しました。森喜朗首相(当時)が葬儀委員長を務め、追悼の辞を述べました。

橋本龍太郎(2006年7月1日没・享年68歳)

1995年の自由民主党総裁選で小泉純一郎を破り総裁に就任、翌1996年、社会党・村山富一首相の辞任を受けて内閣総理大臣に任命されます。1998年に首相の座を退き、その後、日歯連の不正献金疑惑により2005年に政界を引退しました。翌年7月1日、敗血症性ショックによる多臓器不全で逝去します。8月8日には、小泉純一郎首相(当時)を葬儀委員長として、内閣と自民党の合同葬儀が行なわれました。

宮澤喜一(2007年6月28日没・享年87歳)

1991年、72歳にして内閣総理大臣に就任しましたが、1993年には内閣不信任案が可決。その後もご意見番として政治の世界に長々と君臨しましたが、2007年6月28日、老衰のため逝去します。同年8月28日に行なわれた内閣・自民党の合同葬儀には約2,600人が参列し、葬儀委員長の安倍晋三首相(当時)が弔辞を述べました。

財界の有名人

政界だけでなく、昭和という時代を動かした財界のキーパーソンの葬儀も過去には執り行なわれています。

正力松太郎(1969年10月9日没・享年84歳)

財団法人 日本武道館の初代会長です。讀賣新聞や東京讀賣巨人軍を始めとする讀賣グループの総帥であり、日本テレビの創設者でもあります。1969年10月9日、心筋梗塞により逝去し、同月14日には日本武道館で葬儀が行なわれました。

土光敏夫(1987年8月4日没・享年91歳)

元日本経済団体連合会名誉会長で、1987年8月4日、老衰により逝去しました。8月10日に池上本門寺で行なわれた葬儀では5,000人が焼香し、日本武道館では経団連、東芝日本たばこ(当時は日本専売公社)の合同葬が行なわれました。

その他

多くのファンに愛されたスターの葬儀が行なわれたこともありました。

ジャイアント馬場(1999年1月31日没・享年61歳)

日本プロレス史を代表するプロレスラーであり、テレビやCMなどでも人気を博した昭和の国民的スターです。大腸がんの肝転移による肝不全で1999年1月31日に没し、同年4月17日には2万8,000人が参列する大規模なファン葬が執り行なわれました。